⑦ 医薬品の薬害で知っておくべき事。

新薬コラム

                     医薬コンサルティング, 新薬開発, 臨床試験, 承認取得,

薬害根絶の願いを込めた「誓いの碑」が厚生労働省前庭に建っているのはご存じでしょうか? この碑は、薬害エイズを発生させた国の責任を明らかにし、薬害の悲惨さを歴史にとどめて、「国は二度と悲惨な薬害を起こさないことを国民に対して誓ってほしい」との思いから、エイズの原告団と弁護団の要求により、1999年に建てられたものです。患者・遺族が受けた薬害被害を社会的な痛み、人類の教訓として、薬害根絶につなげてほしいという被害者としての願いが形となったものです。

「誓いの碑」

 20年以上経った今、この碑がある事を知っている方が、どの位いるかは分かりませんが、関係者以外は、あまり一般的になってないような気がします。
 そこで、今回は、国内で生じた薬害について、もう一度振り返って、同じような薬害が、再び起こらないように、このテーマを選びました。

 話の内容は以下の通りです。
1)過去に医薬品等が関係した主な薬害
2)主な薬害に関し、その内容、問題点、行政上の対応
 (1)サリドマイドによる先天奇形
 (2)キノホルムによるスモン
 (3)輸入濃縮血液製剤(血液凝固因子)によるエイズ
 (4)輸入濃縮血液製剤(フィブリノゲン)によるC型肝炎
 (5)ソリブジンとフルオロウラシル系抗がん剤の併用による骨髄抑制

それでは、順番に説明します。

1)過去に医薬品等が関係した主な薬害
  これまでに薬害と言われている事例について、下表に示しました。この中から、赤字で示した薬害の内容、問題点並びに行政が取った対応について、次に示します。

発現年度薬害の内容
1956年ペニシリンによるショック死
1960年サリドマイドによる先天奇形
1965年アンプル入り風邪薬によるショック死
1967年抗生物質による聴力障害
1968年クロラムフェニコールによる再生不良性貧血
1969年クロロキンによる網膜症
1970年キノホルムによるスモン
1973年筋肉注射による大腿四頭筋拘縮症
1985年輸入濃縮血液製剤(血液凝固因子)によるエイズ
1987年輸入濃縮血液製剤(フィブリノゲン)によるC型肝炎
1992年MMRワクチンによる無菌性髄膜症
1993年ソリブジンとフルオロウラシル系抗がん剤の併用による骨髄抑制
1997年ヒト乾燥硬膜によるプリオン感染(CJD事件)

戦後の薬害事件の概要と教訓 土 井 脩(医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団)

2)主な薬害に関し、その内容、問題点、行政上の対応
(1)サリドマイドによる先天奇形
内容
 サリドマイドは1957年に西ドイツのグリュネンタール社から発売された睡眠・鎮静薬で、日本でも大日本製薬から睡眠薬として発売された。妊娠初期の女性が服用したところ、副作用として四肢に異常のある児(四肢の全部、あるいは一部が短い、また耳や内臓の障害も有す)が多く誕生した。1962年にサリドマイドによると判明し販売を中止した(被害者約1000人)。
問題点
  当時は医薬品の承認にあたって非臨床試験、臨床試験で適切なデータに基づいて有効性と安全性を評価する承認体制がなかった。
 日本の規制として、国内、外国の副作用情報を収集・評価し、適宜当局に報告するシステムがなかった。
 製薬企業が情報を得てから、販売中止迄の措置の遅れ、回収の不徹底等、安全性に関する認識の甘さ、対応の遅れがあった。
行政上の対応
 医薬品の製造承認等の基本的方針が制定された(承認審査制度の見直し、催奇形性試験の実施、臨床試験の二重盲検試験の実施、ヒトにおける吸収・排泄データの取得等)。
 医薬品副作用報告制度が新設された。 

 尚、サリドマイド製剤については、その後、多発性骨髄腫に有効である事が判明し、医療関係者、患者さんからの要望もあって、2008年に厚生労働省は製造販売を承認しました。
 サリドマイドの承認に際しては、過去の催奇形性の薬害を踏まえ、安全管理の徹底が条件とされています。販売する製薬企業と厚労省とで纏めた「サリドマイド製剤安全管理手順」(TERMS)で、使用する医療関係者や患者さん等などに向け、製薬企業と緊密に連絡を取り合い、妊娠回避を徹底するなど、守るべき事項を定めています。
 厚労省では、この安全管理策を国の関与のもと、第三者機関による評価も踏まえて適正に運用することにしています。また、サリドマイド製剤は卸売販売業者の「管理品目」に該当しています。
 このような安全管理対策が機能して、サリドマイド製剤は現在も販売されています。 

(2)キノホルムによるスモン
内容
 キノホルムは、1900年にスイスのチバ社が外用の殺菌剤として開発し、その後アメーバ赤痢に対し、内服剤として使用された。さらに下痢止め、整腸剤として適応が拡大された。1930年代から重篤な神経障害が報告されたが、日本でも1953年から発売された。1966年頃からスモン(亜急性脊髄-視神経-抹消神経症:下肢等の激しい知覚・運動・歩行・視覚障害等、耐え難い苦痛をもたらす難治性の疾患)の発生が大量に報告され、発売が中止された(被害者11000人以上)。
問題点
 適応症が拡大される際、有効性・安全性のデータに基づいた審査体制が欠如していた。
 安全性に関する認識の甘さ(海外の市販後の副作用の報告を積極的に収集してなかった)、対応の遅れ、患者救済の遅れがあった。
行政上の対応
 1979年に薬事法が改正された(承認基準・提出資料の明確化、再審査・再評価制度の導入、副作用の収集・提供・報告の法制化、販売の一時停止・回収等の緊急措置命令の導入)。
 医薬品副作用救済制度が導入された。

(3)輸入濃縮血液製剤(血液凝固因子)によるエイズ
内容
 エイズ(後天性免疫不全症候群)はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)によって引き起こされる病気で免疫不全状態に陥り、様々な感染症や悪性腫瘍等を引き起こす。血友病患者に使用されていた米国から大量輸入された非加熱血液製剤の中にHIVが含まれていたため、HIVに感染し、その後エイズを発症した(被害者1400人以上)。
問題点
 海外の情報、治験データが活用されてなかった。
一部の専門家の意見により治験等の方向性が左右されていた。
非加熱製剤の回収の遅れにより被害が拡大した。
行政上の対応
 薬事法が改正された(海外措置報告の義務化、回収等の徹底強化、感染症に関する報告の義務化、感 染症被害者救済制度の導入、製造販売責任の所在を明確化するため「製造販売業者」が新設、承認審査体制の強化として審査センターが新設された)。

(4)輸入濃縮血液製剤(フィブリノゲン)によるC型肝炎
内容
 出産や手術の際に、止血剤として使用されていた非加熱の血液凝固因子の中に、C型肝炎ウイルスが含まれていたために、多くの人がウイルスに感染し、慢性肝炎や肝がん等を発症した(被害者約10000人)。
問題点
 海外の情報・治験データが活用されてなかった。
 生物由来製品の安全性情報の収集・当局報告が徹底されてなかった。
 製造承認の一変申請を行わずにウイルス不活性化処理方法を変更していた。
行政上の対応 
 エイズと同時に対応がなされた。

(5)ソリブジンとフルオロウラシル系抗がん剤の併用による骨髄抑制
内容
 1993年、日本商事が抗ウイルス剤(帯状疱疹治療剤)としてソリブジンの販売を開始した。発売後約1ヶ月で5-UF(フルオロウラシル系)抗がん剤との薬物相互作用で死亡者が出た(被害者15人)。
問題点
 抗がん剤との薬物相互作用に関し、前臨床、臨床、審査段階での検討が不十分であった。
 添付文書への相互作用情報の記載が不十分であった。
 企業から医療関係者への情報伝達が不十分であった。
 企業だけでは医療機関に「緊急に情報を伝達する」ことが困難であった。
行政上の対応
 薬事法が改正された(審査センターの新設、添付文書の記載方法の見直し)。
 市販直後調査制度が新設された。

 以上のように、これ迄発生した薬害については、現在の薬事行政から見ると、いずれも回避出来る内容と考えられる。つまり、これ迄「薬害」が生じると、それに対する行政上の対応として、新たな審査方法の確立、組織や制度の新設、海外のシステムの導入等を行い、現在の薬事行政が確立してきたことになる。もちろん、ICH等の議論を重ねることで、海外の薬事行政に追いつく努力はしているが、これ迄、多くの犠牲者を出すことで、今の日本の医薬品の薬事行政の対応が形づくられた部分がある事を忘れないようにしたい。少なくとも、冒頭で紹介した「誓いの碑」が建立された経緯は、誰もが知っておいてほしいと思います。

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